神仏習合の論理

今年も11月となり、年の瀬も迫ってきました。
街へ出ると、クリスマスや年賀状の受付を始めています。

良く、言われることで、日本人はクリスマスには教会へ、大晦日はお寺へ、元旦は神社へ行きます。
まったく、無節操なと言うのも、まあ、毎年の風物詩でしょうか。

ただ、これは、今に始まった事でもなく、わが国では神仏習合と言う考え方が有り、神と仏を一体として祈る伝統があります。

また、このような習慣は、広く仏教国に見られる事で、チベットではポン教、中国では道教と習合し、地元の神々と仏教の仏は共に信仰されています。

さらに、最近では欧米でも仏教を信ずる人が大勢おられますが、元来一神教が強い国々です。
ところが、仏教を取り入れても、そうした人々は家では相変わらずキリスト教やユダヤ教という場合が多い。
そして、仏教側としては、それで文句が出るという事も有りません。

はたまた、欧米で保守的な伝統を嫌い、無神論者であり、生き方として仏教を取り入れたという人も実際大勢居ます。


一体全体、このような事を可能にしている仏教の考え方はどうなっているのでしょうか?

ここに、キーワードとして「法身」という言葉があります。

」とは、この世の法則という様な意味です。
仏法」とも言いますが、仏教においては、この「」が信仰対象となるわけです。

そして、同じく信仰対象である「仏陀」も、その本体は「」であると考えられ、それを「法身仏」と呼ぶ訳です。
例えば、「奈良の大仏(毘盧遮那仏)」が有名でしょう。


要するに、その「法」をどのように見るかで立場が変化するわけです。

・「法」を「法則」として見れば、無神論に近くなります。

・「法」を人格的な「法身仏」と見れば、一神教に近くなります。

・その「法身仏」は地域によって様々な姿で現れると見れば、多神教に近くなります。


実際に、どの形の信仰も仏教には有りますので、どれが正しい仏教なのか?と言われても、自分に合った形を選んで下さい、としか言いようが有りません。


ただ、現在のように地球が狭くなり、様々な考えの人と顔をつきあわせる時代では、仏教の発想というのは人類への大きなプレゼントではないかと思う訳です。