『古代インドの神秘思想』

服部正明『古代インドの神秘思想』

人間には、根源的なものに触れたいという欲求がある。
普段は、日々の生活に追われて、そんな事は忘れているが。

時折、「自分の人生って何だろう」などと思うとき、何か根源が有るんじゃないかと考えるのだ。

でも、そんな事を口にすると、「変な宗教にかぶれたのか?」と思われると困るから、まあ、胸の内にしまっている。

が、大昔の思想家は多くそうした事を人生の主題にした。
それは洋の東西を問わない。

その根源的なものを、それは言葉で表せないと言いつつ、様々な言葉で呼んだ。
東アジアでは、天、道、混沌、一、などと言ったし、これは現代日本でも生きている言葉だと思う。

そうした根源的なものを土台に、生きていきたいと、思う人もいるだろう。
たとえば夏目漱石が「則天去私」を理想にしていたように。

さて、インドではこの根源をブラフマンと言い、自分(アートマン)と一体である事を理想とした。

一体、我々はそうした言葉になじみが無いから、オカルト的な事を想像するが、実際は至って即物的である。
以下、実際にインドの古典『ウパニシャッド』を見てみよう。

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〔ウッダーラカ・アールニが息子シュヴエータケートゥに向かって言った。〕
「榕樹の実をそこから持って来なさい。」
〔息子は答えた〕
「父上、ここに持ってきました」
「割ってごらん」
「割りました父上」
(中略)
「そこになにが見えるか」
「何も見えません、父上」
父は彼に言った。
「まことに、愛児よ、おまえに見えないこの微小なもの、ーこの微小なものから、愛児よ、この大きな榕樹がこのように生い立っているのだ。
愛児よ、信ずるように。
この微細なもの、—この世にあるすべてのものはそれを本質としている。
それは真実、それはアートマンである。
シュヴェータケートウよ、『お前はそれである』」
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『お前はそれである』

これがインド思想の出発点で有り、最終目標なのです。