サキャ・パンディタ モンゴル帝国への仏教東漸1

学僧の格言集と言えば、ありふれたものでしょうか。

しかし、『サキャ格言集』の著者、サキャ・パンディタ(1182ー1251)の生涯は、単なる学僧とは言えないドラマティックなものがあります。


サキャ・パンディタはチベット、サキャの地に生まれます。
なお、サキャ・パンディタという名前は、サキャの博士という程の意味で通称です。

本名はクンガ・ゲルツェンと言います。
こちらは僧名であり、師のタクパゲルツェンから受戒し、灌頂を受けました。

彼は、将来を指導者として期待される生まれであり、優れた教育を受ける事ができました。
実のところ、当時のインド仏教は滅亡寸前でありました。
最大の拠点であったナーランダー僧院は1193年にイスラム軍の攻撃を受け、陥落しています。

そのため、多くの僧侶がチベットへ亡命しており、その中のシャーキャシュリーバドラという学僧から、
サキャ・パンディタは学問を学んだそうです。

また、当時のチベットも安穏な土地ではありませんでした。

モンゴル帝国が興起し、チベットの北東に存在した西夏国が滅ぼされたためです。
チンギス・カンの没後、大カーンの位を継いだオゴデイも積極的な領土拡大戦争を進めました。

オゴデイは、対中国(南宋)戦争の一環として、次男コデンを派遣。
コデンは現在の甘粛省を拠点に陝西省、四川省へ軍を進めていました。

1240年、コデンは後背の安全を確保するため、ドルダノリボを派遣、チベットへ兵を進めました。

片や、チベットは400年もの間統一国家が無く、氏族集団による群雄割拠の時代でした。
日本で言う戦国時代の様なものでしょうか。

 

(続きます)