『大乗起信論』解釈分・心生滅門

『大乗起信論』更新しました。 
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今回は「如来蔵」「本覚」といったキータームが出てきます。 

理解のポイントとしては「如来蔵」については"実体として"存在すると考えると、誤りになってしまう、ということです。 
人の心はあらゆる可能性を含んでいるという"性質"を如来蔵という言葉で表現した、と理解すると良いのでは無いでしょうか。 

また、「本覚」も同じ事で、最初から悟りという事をも含んでいる(現象世界すべてが心なのだから)事を言っているわけです。 
決して、最初から覚っているから努力は必要ない、などという通俗的理解はどこにも書かれていない事を確認していただければ、良いかと思います。 


2-2 心生滅門(心の活動する面) 


心生滅は如来蔵に立脚して生滅心が存在している。 
言わんとするところは、不生不滅と生滅が和合した、同一でもなく、異なるでもないもの、これをアーラヤ識と名づける。 


アーラヤ識には二種類の意味があって、あらゆるものを含み、あらゆるものを生みだす。 
どのような二種なのか。 
1.覚(悟り)の意味、2.不覚(迷い)の意味である。 


ここで言う覚の意味とは、心は本来、妄念(主観的な分別)を離れていることを言う。 
妄念を離れた姿は、虚空界(=真如)と等しく、普遍的なものなので、法界一相(真実の姿)である。 
そして、それは如来の平等法身(仏の智慧そのもの)である。 
この法身をまた本覚と名づける。 
それはなぜか。 
本覚の意味は始覚の意味に対応したものとして説かれたもので、始覚とはつまり本覚と同じ事である。