『大乗起信論』解釈分・依言真如

『大乗起信論』更新しました。

 

なかなか体調が戻らないので更新が進まない…

 

さて、今回で「心真如」の解説がおしまいです。

 

宇井伯寿師の注によればここまでが中観、要するに中道・空思想の解説、次回からは唯識の解説という事です。

ただし、唯識と言っても日本に伝わる法相宗とは異なるものですので、注意が必要です。

 

以下、要約したいのですが、文脈のニュアンスが難しいので、全文を掲載したいと思います。

また次に、真如を言葉によって説明すると、二種の意味がある。どのような二種なのか。 1.如実空(ありのまま空)。究極的に実相を顕かにしているからである。2.如実不空(ありのまま不空)。それ自体が清浄な性質・功徳を具えているからである。 1.いわゆる空とは、本来あらゆる染法(汚れ)に当てはまらないためであり、つまり、あらゆる存在の差別の実相を離れたなら、虚妄の心念(妄念・主観的な分別)が存在しないからである。まさに知るべきである。真如の自性は有でもなく、無でもなく、非有でもなく、非無でもなく、有かつ無でもなく、同一でもなく、異なるでもなく、非同一でもなく、非異でもなく、同一かつ異なるでもない。要するに、あらゆる人々は妄心(誤った心・主観的な分別)があるので、瞬間瞬間に分別作用が働くが、この作用が当てはまらないので空という。もし妄心が存在しなければ、実に否定するものは無いからである。 2.いわゆる不空とは、法体(存在の実体)は妄(主観的な分別)が存在しないことがあきらかであるので、つまりこれが真心である。これは、永久、不変、浄法、完全なので不空と名づけるが、なにか形があるわけではない。分別を離れた対象は、ただ悟りとのみ結びついているからである。