『八宗綱要』三論宗の歴史

本日の『八宗綱要』は、三論宗の歴史です。 じっくり見ると、見たような名前が出てきて楽しいですよ。 
ところで、三論宗の章は今回でおしまいです。 次回は、予告通り『大乗起信論』に入ります。 

8 三論宗の歴史 
問い。三論宗では誰を祖師としているのか。 答え。祖師の血脈は三国(インド・中国・日本)を相承して、師と師がその歩みを受け継いでいる事は、三論宗では実にはっきりしている。 
初め大聖文殊師利(マンジュシュリー)菩薩を高祖とする。 次ぎに馬鳴(アシュバゴーシャ)菩薩を次祖とする。 次ぎに龍樹(ナーガールジュナ)菩薩は見事にこの宗を広めた。 龍樹は龍智(ナーガボーディ)菩薩および提婆(アーリヤデーヴァ)菩薩に教えを授けた。 この二大論師は肩を並べて教化を施し、龍智は清弁(バーヴァヴィヴェーカ)菩薩に授け、清弁は智光論師に授け、智光は師子光菩薩に授けた。 
一方、提婆菩薩は智慧が甚だ深く、弁論の才能に優れていた。 そこで、おおいに他宗教を論破し、盛んに仏教を広めた。 論師はこの宗を羅睺羅(ラーフラバドラ)菩薩に授け、羅睺羅は沙車王子に授け、王子は鳩摩羅什(羅什・クマーラジーヴァ)三蔵に授けた。 
羅什三蔵は後秦(中国五胡十六国時代の姚秦)の時代に中国へ来たり、大いに経典論書を翻訳し、おもに三論宗を伝えた。 四論は羅什師が翻訳したものである。 翻訳の美しさは古今名声が高く、深い智慧と才覚は三国に尊ばれた。 弟子達が仰ぎ見ることは星々が月を囲むようであり、多くの王朝が帰依することは川が大海に流れるようであった。 道生・僧肇・道融・僧叡が肩を並べて法を相承し、曇影・慧観・道恒・曇済は志を同じくその美を讃えた。 遂に曇済大師によって歩みを受け継がれ、さらに道朗大師に授けられた。 道朗は僧詮大師に授け、僧詮は法朗大師に授け、法朗は嘉祥大師吉蔵に授けた。 

嘉祥大師は元々イランの人である。 幼少のころ父とともに中国へ来て、法朗大師のもとで三論を学んだ。 嘉祥大師はまことに三論法門の綱領であり、古今に抜きん出ており、その威徳は象王の威厳があり、智慧と弁論の光は日月も霞むようであった。 著作も甚だ多く、広く書かれており、三論・法華をその心臓としており、大小両乗はことごとく奥底まで窮めていた。 三論宗がはなはだ盛んとなったのはもっぱらこの師のためである。 諸祖の中でも特に大祖とされる。 経典の解釈は理を尽くしており、加える言葉もない。 
そして、嘉祥大師は三論宗を高麗の慧観僧正に授けた。 僧正は日本に来て、広くこの宗を伝えた。 慧観は福亮僧正に授け、福亮は智蔵僧正に授け、智蔵は道慈律師と頼光法師に授けた。 道慈は善議大徳に授け、善議は勤操僧正に授け、勤操は安澄大徳に授けた。 このように相承して今に至るも絶えない。 明師が輩出してそれぞれ教えを広めた。 三論宗が三国に失墜することなく伝承されたのは明らかである。 そのため、義浄三蔵のいわく「インドに二宗がある。『瑜伽』と『中論』である」と。 
教理の甚だ深い事は何れの宗が及ぶだろうか。 布貴の道詮が言った事がある。「インドの四本の河川の流れは、同じ無熱池から出ている。七宗は分かれているがみな三論から出ている。」 まさに知るべきである。諸宗はすなわち三論の末、三論はすなわち諸宗の本である。 どうして龍樹の意志を汲もうとしない宗があるだろうか、諸宗はことごとく崇めて大祖としているのだから。