華厳宗


第七章 華厳宗

第一節 宗名と所依の経

第一項 宗名

 

問い。どのような理由で、華厳宗と呼ばれるのか。

答え。『華厳経』をよりどころとするので、華厳宗と呼ばれる。

 

 

第二項 所依の経

 

問い。『華厳経』にはどのような種類があるか。

答え。もし、詳しく論じるならば10種類が有る。

しかし今、要約して言えば、ただ3本有る。

 

1.上本の華厳

十三千大千世界微塵数(宇宙全体を粉々にして、そのかけらの数ほど)の偈(詩文)。

一四天下微塵数(地球全体を粉々にして、そのかけらの数ほど)の品(章)である。

 

2.中本の華厳

四十九万八千八百偈、一千二百品ある。

この2本の経は龍宮にあり、閻浮提(この世界)には伝わっていない。

 

3.下本の華厳

十万偈、三十八品ある。

これは閻浮提に伝わっており、インド全土に盛んに弘まった。

これを3本の華厳と言う。

 

下本の経の十万偈は、中国に伝わる際、3度翻訳されている。

東晋の時代、覚賢三蔵(ブッダバドラ 359-429)が翻訳したものは六十巻となった。

彼が得た梵本(サンスクリット原本)は三万六千偈であった。

 

次に、大唐の時代、喜覚三蔵(シクシャーナンダ 実叉難陀 652-710)が翻訳したものは八十巻となった。

彼が得た梵本は四万五千偈であった。

 

最後に、大唐の時代、般若三蔵(プラジュニャー ?-781-?)は貞元年中(785-805)に翻訳して四十巻となった。

ただ、これは入法界品だけの部分訳である。

 
 

第二節 三国の相承

第一項 インド・中国の相承

 

問い。華厳宗は誰を祖師としているのか。

答え。香象大師(賢首大師法蔵 643-712)を高祖としている。

しかし、詳しく言えば七祖がある。

 

1.馬鳴菩薩(アシュヴァゴーシャ『大乗起信論』の著者)

 

2.龍樹菩薩(ナーガールジュナ) 

 

3.中国での元祖は杜順禅師(法順 557-640)である。

彼は文殊菩薩の垂迹であり、終南山に居り、『法界観門』『五教止観』『華厳一乗十玄門』を著し、華厳宗を弘めた。

諡を帝心尊者と言う。

 

4.智儼禅師(602-668)

杜順師の後を継ぎ、盛んに華厳宗を弘めた。

著書多数。

雲華寺に居たので、雲華尊者と号した。

 

5.香象大師

智儼禅師の後を継ぎ、華厳宗を広めた。

一朝の国師(一国の教師)、四海の重宝(世界の宝)である。

経典を講義すると、天から花が雨のように降ってくる。

その意義を説くと口から五色の光が出る。

大唐の則天武后は諡して賢首国師と号した。

経典・論書の解釈を書くこと極めて多い。

『華厳経』の解説『華厳経探玄記』、その他経典の解説(『梵網経疏』等)、諸論書の解説(『起信論義記』等)華厳宗の総説(『華厳五教章』等)と、その解釈は残すところがない。

意味・理論をことごとく記している。

およそ、華厳宗が盛んになるのはこの祖師による。

 

6.清涼大師(澄観 738-839)

香象大師を承けて華厳宗を弘めた。

その知的理解は深く広く、諸宗を兼ねて通じ、円宗(華厳宗)をその中心とした。

『華厳経随疏演義鈔』およびその他の章疏を著述した。

その数は多数である。

一朝帰宗(国中がその教えを受け)して、国師とされた。

10の誓いを立て、生涯怠らなかった。

清涼山(五台山)に居り、諡を華厳菩薩と号す。

 

7.宗密禅師(780-841)

清涼大師を承けて、盛んに華厳宗を弘めた。

諸宗を兼ねて通じ、著作は甚だ多い。

圭峯(長安の終南山にある)の草堂寺に居り、諡を定慧禅師と号す。

 

この七祖については浄源法師(1011-1088)が勅令を受けて記したものである。

もし、中国に限るならば杜順以下の五祖となる。

 

 

第二項 日本の流伝

 

日本で学ばれる方は、特に四祖を挙げられる。

杜順・智儼・香象・清涼である。

日本に伝わってからは、道璿律師(702-797)をその始祖とする。

律師は香象から学んでいる。

律師は良弁僧正(689-773)に授けた。

それ以来、現在に至るまで受け継がれ、血脈相承して、途絶えていない。

 

 

第三節 華厳宗の教判

第一項 五教と十宗

 

問い。華厳宗は幾つの宗教(宗旨・教義)によって、釈尊一代の法門を分類しているのか。

答え。五教と十宗によって、一代の法門を分類している。

その五教とは、1.小乗教、2.大乗始教、3.大乗終教、4.頓教、5.円教である。

 

 

第二項 小乗教(倶舎宗を参照)

 

初めに小乗教とは、釈迦如来がこの世に現れて、一乗(唯一の教え)を説いて人々を開化するために、菩提樹の下で『華厳経』にあるように一乗を説かれた。

日の出の時、高山が先ず光を受けて、大益を得た様なものである。

日輪が初めて耀照(輝く)して、人々を覚らせた。

ところが、小志の人々は深法を聞くに堪えなかった。

そのため、如来は一乗の中に三乗を分けて、段階を経て成長させるようにし、そして大道に向かわせた。

その中で、小乗教は如来が手段として作ったものであり、(法華経にあるように)羊車・鹿車を渡して小志を誘い、化城(幻の城)を設けて疲れた人を休めたようなものである。

したがって、その説かれる内容は、対象にあわせて、その覚りの果証は狭く劣る。

このように対象を誘って、段階を経て大乗へ進ませるためである。

 

問い。小乗教で説かれる内容はどのようなものか。

答え。説かれる内容ははなはだ多い。

ここで一二を挙げれば、法相(事物の姿)で言えば七十五(五位七十五法の事)の数になる。

有為法(現象世界)と無為法(覚りの世界)の相(姿)は歴然である。

その根源を説くと、六識(眼耳鼻舌意)三毒(貪瞋痴)があり、その染(汚)・不染の差も明瞭である。

四果(預流果・一来果・不還果・阿羅漢果)によって証しみちびかれるところは入寂(灰身滅智)である。

三祇(阿僧祇)の修行で得られるところは五分法身(無漏の戒・定・慧・解脱・解脱知見)である。

外道邪見の旗は塵の如く砕け、分段生死と見思の惑の数は雲の如く晴れる。

しかし、まだ法源を窮めていないために、論争が極めて多い。

小乗二十部がこの教えの姿である。

 

 

第三項 大乗始教(法相宗を参照)

 

次に大乗始教とは、この教は小乗を出て始めて大乗に入ったものである。

したがって、少し小乗に姿が似ているが、多くは直接大乗の深い意義を説いている。

三阿僧祇劫の修行によって極証の大果(優れた覚り)へおもむく。

二空(人空・法空)を明らかにする事は、高く偏小の情(小乗への執着)を離れる。

(唯識)百法の鏡が決択させることは明瞭である。

したがって、争論はここに終わり、教法の苑も平穏である。

四智の心品の自用の月は明らかである。

三身の妙果が証す光も円かである。

八識を立てる事で法相は広く張り、(真・俗)二諦の法門はとても重く深い。

二障(煩悩・所知)を断つことで、衆惑は氷のように消える。

六度(波羅蜜)の修行は、自他共に彼岸へ運ぶ。

その妙理ははるかに遠大であり、まことに小乗の窺うところでは無い。

大義は深玄であり、はるかに羊鹿の権車(小乗の喩え)を超える。

 

しかしながら、真如無知(真如に霊知の作用を認めない)であり、(阿頼耶識)縁起は理(真如)と事(現象)に相即の道が通じていない。

相い融合する門は開いていない。

そのため、能力を五性に分け、この世に生まれても、成仏できる者と、できない者の差が有る。

二乗の差が有り、佛果に趣く者とそうでない者が有る。

これが有性・無性の隔別、定性と不定の差違である。

したがって、この教えの無性は生死を離れる事ができない。

定性は皆、大乗へ向かう事ができない、というのがこの教えの意味である。

大衆部・上座部を離れたと言っても、進んで真如随縁・一切皆成佛の教えには及ばない。

始教の名称はこれに由来する。

 

 

第四項 大乗終教

 

次に、終教について。

この教は諸相融即(諸法の相が融合・相即)して、不二の定門に入る。

真如は随縁して森のように栄える。

そして、如来蔵と八識とは、氷と水の関係のようなものである。

仏性の有る無しは、皆成仏であるから虚空のように差別が無い。

依他起性の無性はそのまま円成実性であり、衆生の煩悩は即ちこれ涅槃である。

第一義空では真如と妄法(煩悩)は重なり合っている。

生住異滅という変化は時間の束縛を離れて絶える。

斯くして大乗の深義はこの中に尽くされ、法義の確立はこの教えに窮まる。

 

しかしまだ事事無礙を説かず、まだ主伴具足を明かさない。

修行の段階に階位を立てる。

従って、漸教と呼ばれるのである。

 

 

第五項 頓教

 

次に、頓教について。

この教は一念不生(最初の一刹那の妄念が起こらないこと)を佛という。

そのため、法相の差異は全て無くなり、真性の妙理が直ちに顕現する。

一切の所有という概念は妄想であり、一切の世界では皆な言葉も絶える。

五法と三自性は倶に空となり、八識と二無我(というような区別)も空寂である。

修行の階位もみな無くなり、佛と衆生の差も皆な無くなる。

 

しかしながら、未だ知らない。

数多の諸法はみな毘盧遮那佛の悟りの世界であり、現実の相が佛海の妙相である事を。

従って、なお浅教であると呼ばれる。

 

 

第六項 円教

 

最後に、円教について。

この教は事事無礙(融通無碍の世界)をあきらかにして、諸法の体相(真如とその性功徳)をきわめる。

主伴無尽(すべてが主であり、伴ともなる)を談じて、果相の円備(覚りの功徳が備わっている)をあらわす。

そのため、十玄縁起は諸法が融合し即入しており、六相円融は衆相を通じて無礙である。

部分はそのまま全体であって隔てが無く、全体はそのまま一部でありつながっている。

過去から未来まですべて一刹那に入り、一瞬も永遠と異ならない。

永い修行による成仏も本来仏であるという趣旨を顕すが、修行を発心した瞬間に悟りの世界にいる。

段階的に考える見方では、永劫の時間を経る。

全ては円融しているという真実では、この瞬間に覚りを得る。

そして、その両方はお互いを妨げない。

したがって、一切は相即相融している。これが円教の教えである。

 

 

第七項 五教のまとめ

 

釈尊の説かれた教えに浅い深いは有るが、以上の5つに分類される。

まことに諸法を判別して残すところは無く、法門を含んで余すところが無い。

この5つのうち、初めの1つは小乗である。

最後の1つは一乗である。

中の3つはみな三乗教である。

この前と後は漸教であり、合わせて頓漸二教となる。

漸教を始終で分けるので3つになる。

 

この5つを総称して一大善巧とする。

広大な仏法を含んだ内容は円教にすべて具足される。

四法界の中に収まり、尽きるためである。

およそ釈尊一代の教えの最高のもの、諸宗の根底はこの円教につきる。

ただ、この教えのみが究極である。

華厳は須弥山(スメール)のようであり、諸教は群山に似ている。

諸教はみな華厳の大海に至り、三乗は華厳経の庭から生まれたものである。

したがって、この円教を根本法輪と呼ぶ。

円極自在の教えである。

 

 

第八項 十宗の教判

 

次に、十宗とは、前記の五教を宗(教えの本旨)の立場で見ると、十宗に分類できる。

1.我法倶有宗(犢子部) 2.法有我無宗(説一切有部) 3.法無去来宗(大衆部) 4.現通仮実宗(説仮部・経量部) 5.俗妄真実宗(説出世部) 6.諸法但名宗(一説部)である。

以上の宗はみな小乗教を分類したものである。

7.一切皆空宗、これは大乗始教である。

8.真徳不空宗、これは大乗終教である。

9.相想倶絶宗、これは頓教である。

10.円明具徳宗、これは円教である。

 

 

第九項 五教の行位

 

問い。五教の行位(修行の階位)はどのようなものか。

答え。小乗教の行位は小乗論(倶舎等)と全く同じである。

 

大乗始教では三乗の位を説いている。

その菩薩乗では五十一位を立てている。

そのうち十信も位に数えるから五十一になるのである。

これは(二乗ではなく菩薩乗へ)直進する機根の人の場合である。

或いは、三乗共通の十地を立てる。

これは(二乗から菩薩乗へ)廻心する機根の人の場合である。

 

大乗終教では一切衆生が皆成仏すると説くので、菩薩乗のみである。

四十一位を立てる。

それは、十信を位と数えないからである。

等覚の位を数えるかどうかは異説がある。

 

頓教は言語を絶しているので、本より位を立てない。

 

円教には2種類有る。

1.同教一乗。全く終教と同じ。

2.別教一乗。全く三乗とは別のものである。これにも二門が有る。

 

1.次第行布門。

因果(原因と結果が)順に有り、修行が進み覚りに入るからである。

2.円融相摂門。

原因と結果が融合し、障碍無く互いに入り摂しているからである。

 

行布であるから、その修行は無限の時間を経る。

円融であるから、この一念の中に速やかに仏果を証す(覚りを得る)。

 

また、円教では三生成仏を立てる。

見聞生(過去生で法門を聞く)、解行生(今生で修行する)、証入生(来世で仏果に証入する)である。

 

 

第四節 四法界

 

円教の義理(意味と道理)は、四法界の中に全て含まれ、余すところは無い。

1.事法界(事物)

2.理法界(真如)

3.事理無礙法界(真如が現象に現れている事)

4.事事無礙法界(一部の中に全体が含まれている事)

 

 

第五節 佛身と佛土

 

問い。華厳宗の佛身と佛土にはどのような種類が有るか。

答え。五教で異なっている。

円教の場合、佛土に3種類(蓮華蔵世界・仏、十重世界・菩薩、無量雑類世界・凡夫)が有る。

実際には皆、華蔵荘厳世界であり、浄穢や一多の違いが無い。

 

佛身には十身がある。

衆生身、国土身、業報身、声聞身等であり、世界に仏の身体でないものは無い。

あらゆる徳により飾られ、全てが包まれている。

したがって、煩悩を断つと言えば、1つを断てば全てが断たれる。

覚りを証すと言えば、1人が覚れば全てが成仏する。

 

 

第六節 華厳宗の総結

十身具足の毘盧遮那仏は、その最初に重重無尽の深い教えを説かれた。

一切の諸法はその中に尽くされている。

しかし、理解が浅く修行に耐えられないもののために順々に易しい教えを説き、法華に至って(様々に分かれた)三乗が実は一乗であると教えた。

そしてついに華厳一乗へ悟入させた。

釈尊一代の教えは『華厳経』を説いたもので、最終的にはこの経に入る。

これを説けば、八万の教えが森のように広がり、まとめれば『華厳経』九会の説法に収まる。

 

『大方広仏華厳経』では理智の融合が既に経題に顕れている。

華厳海会の善財童子は一生証入(一生のうちに成仏)した。

これは後会(入法界品)にまことにあきらかである。

速やかに覚りを得たいならば、『華厳経』を超えるものは無い。

教理の深い事はどの宗が及ぶだろうか。

 

十玄縁起の花鮮やかなり。六相円融の月朗らかなり。

衆経の上首。諸宗の尊王。洋洋たり。蕩蕩たり。

それを称讃する言葉も無いのは『華厳経』のみである。