真言宗


第二節 真言宗の歴史

第一項 インド・中国の相承

 

問い。真言宗は、誰が伝え広めたのか。

答え。釈尊滅後700年の時、龍猛菩薩は南天の鉄塔を開き、金剛薩埵から受職灌頂し、その後広くこれを伝えた。

金剛薩埵は大日如来から相承しており、大日如来が教主である。

龍猛菩薩はこれを龍智菩薩に授け、それ以来、善無畏三蔵、金剛智三蔵、一行禅師、不空三蔵、恵果和尚とそれぞれ後を継ぎ、血脈は伝わった。

 

 

第二項 日本の相承・弘伝

 

日本の相承としては、弘法大師(空海)が海を渡って恵果阿闍梨に謁し、広く真言宗を受けた。

さらに日本へ還って盛んにこの宗を弘め、それ以来日本一国では花洛(都)でも田舎でも受学しないものは無く、今に至るも絶えない。

およそ真言宗が日本で盛んであるのは偏に弘法大師の力である。

 

大師は大権の応迹(菩薩の化身)であり、盛んな徳は比べるものは無く、その業績は並ぶものが無い。

顕密の諸宗も残すこと無く学び、大小の三蔵に通じ、皆悉く窮め尽くしていた。

神仏と感応道交し、祈祷にも霊験があり、芸術の才能でも大師に及ぶ人が有るだろうか。

まことに過去を照らす明灯であり、未来を輝かす日月である。

遂には高野山において入定されたが、人も神も敬い、天龍八部衆も重んじた。

その内のさとり、外のはたらきは計りがたい。

 

 

第三節 真言宗の教判

 

問い。真言宗では幾つの教を立てるのか。

答え。「十住心」を立てて大小顕密等の諸教を分類して余すところが無い。

 

問い。その「十住心」とは何か。

答え。1.異生羝羊心 2.愚童持斎心(道徳心) 3.嬰童無畏心(宗教心) 4.唯蘊無我心(声聞) 5.抜業因種心(縁覚) 6.他縁大乗心(法相・唯識) 7.覚心不生心(三論・中観) 8.一道無為心(天台) 9.極無自性心(華厳) 10.秘密荘厳心(真言・密教)。これを十住心と呼ぶ。

 

はじめの3つの住心は世間乗である。

そのうち1が三悪道、2が人乗、3が天乗である。

後の7つの住心は出世間道である。

そのうち4は声聞乗、5は縁覚乗であり、総じて小乗である。

後の5つは大乗である。

他縁大乗心と覚心不生心は三乗教である。

一道無為心と極無自性心は一乗教である。

第10は金剛乗教であり、最尊最極の実教である。

9種の住心はみな権教であり因位でもあるが、第10住心のみが実果である。

 

 

第四節 依正の二報

 

大日如来は心王の覚体、数多の諸聖は心数(心所)の眷属であり、五智によって成っている。

依報・正報の二報を説明する。

本有金剛界、自在大三摩耶、現覚諸法本初不生、大菩提心、不壊の金剛光明心殿、これらは依報である。

三十七尊の九会曼荼、十三大会の四重曼荼、重重帝網、塵刹の聖衆、これらは正報である。

依正の二報は尽きることなく自在円満、高く諸宗を超えてそびえている。

広く諸経典を含んで広廊としている。

 

したがって、顕教の大果を得ていても、まだ密教の堂には上がっていない。

輪廻を出ただけの小乗の聖者がどうしてその堂に入る事ができるだろうか。

そして、四大乗宗(法相・三論・天台・華厳)は空寂を実理であるとし、九界(仏以外の世界)の情執が心城を覆い、未だ開顕されていない。

ただ、この密教だけが明らかに実理を見、深く心城(曼荼羅)に入っている。

密厳の蓮華蔵世界に数多の諸尊が森のように住し、一切衆生は仏の優れた働きをあきらかに具えている。

したがって、一切衆生は皆毘盧遮那(大日如来)である。

この世界は皆、覚王(仏)の世界である。

 

 

第五節 六大・四曼・三密

 

真言宗では六大(地・水・火・風・空・識)を立てて、総じて仏の体をあきらかにする。

四種の曼荼羅(大・三昧耶・法・羯磨)はその上の相(すがた)である。

三密相応はつまり、その用(はたらき)である。

 

六大のうち、前の五大は理である。

第六の識大は智である。

理と智の上にそれぞれ相と用がある。

四種曼荼羅と三密を立てる理由である。

智は即ち金剛界、理はこれは胎蔵界である。

これを両界両部の大日如来という。

というのも、六大がつまり大日如来を成している。

一切諸法は六大と別では無い。

六大の法性は諸法に遍満している。

したがって、一切諸法は大日如来と異ならない。

大日如来は法界(世界)に遍満している。

 

まさに知るべきである、両部は大日如来の理智の徳であることを。

理の徳が無量であるから、胎蔵に四重の聖衆が居られる。

智の徳が無量であるから、金剛界に三十七尊が居られる。

両部不二を理智冥合とするのである。

 

 

第六節 四種の法身

 

真言宗では仏に四身を立てる。

自性身、受用身、変化身、等流身である。

これを四種法身という。

五方の五智は四身となり、即身成仏して速やかに大覚を証し、毘盧遮那覚王となり、菩提の至極に至る。

即事而真(この現実が真実)であり、森のような諸相もさながら顕れている諸法もみな真如である。

 

 

第七節 密教と顕教の教主

 

顕教は釈迦の説法であり、密教は大日如来の説法である。

したがって、二教の説主は確かに区別がある。

しかし、実の意味を知れば二仏は別では無い。

つまり、釈迦を離れて別に大日如来が有るのではない。

そのため、十住心の階級で、劣ったものを捨てて勝れたものを求めるのは遮情の見方である。

十住心の諸法が平等であるとするのは表徳の見方である。

すべては差別門であり、すべては平等門である。

不二であり二、二であり不二、表徳なので一塵も棄てず、皆毘盧遮那の優れた徳である。

遮情は顕教でも通じるが、表徳は密教だけの教えであるから。

 

 

第八節 結語