法相宗


第四章 法相宗

第一節 宗名と所依の経論

第一項 宗名

 

問い。なぜ、「法相宗」という名称なのか。

答え。万物(諸法)の本質・現象(性相)を解明するので、法相宗という。

他の名称を挙げれば、全部で四つある。

 

1.唯識宗

この宗の主題は唯識を証明することだから。

 

2.応理円実宗

全ての教えが理にかなっているから。

 

3.普為乗教

五乗(人、天、声聞、縁覚、菩薩)のあらゆる人を救う教えだから。

 

4.法相宗

理由は前に述べたとおり。

 

今はそのうちの一つを宗名にしているのである。

 

 

第二項 所依の経論

 

問い。法相宗はどのような経論を根拠としているか。

答え。世親『成唯識論』では六経と十一部論を引用している。

その六経とは

1.『華厳経』2.『解深密教』3.『如来出現功徳荘厳経』4.『阿毘達磨経』5.『楞伽経』6.『厚厳経』である。

 

十一部論とは

1.『瑜伽論』2.『顕揚論』3.『大乗荘厳経論』4.『集量論』5.『摂大乗論』6.『十地経論』7.『分別瑜伽論』8.『弁中辺論』9.『二十唯識論』10.『観所縁縁論』11.『阿毘達磨雑集論』である。

 

もしすべてを言うならば、五部の大論、十支の論も皆、根拠となるものである。

しかし、『解深密教』『瑜伽論』『成唯識論』は特に学ぶべきところである。

 

 

第二節 法相宗の歴史

第一項 インドの相承

 

問い。唯識の教えは誰を祖師としているのか。

答え。この教えは三国(インド・中国・日本)に伝わった順序、相承が明らかである。

 

釈尊入滅後900年の時、弥勒(マイトレーヤ)菩薩が兜率天から中インドの阿瑜遮国へ降臨され、その国の講堂で五部の大論を説かれた。弥勒菩薩は一生補処(次に生まれ変わるときは悟りを開く)の菩薩であり、その位は十地(菩薩の最高位)に居られる。まさに釈尊在世の時代に親しく語られた説法のようで、空でも有でもない中道の妙理、あらゆる教えの中で規範とすべきものだった。中でも『瑜伽論』に至っては全百巻あり、あらゆる教えをことごとく論ずるため、『広釈諸経論』とも言う。

 

次に、無著(アサンガ)菩薩あり。その位は十地のうち初地である。弥勒菩薩についで唯識を広く伝えた。弥勒菩薩の経文には解釈を加え、釈尊の教えには論を書いた。

 

次に、同じく900年の時代に、世親(ヴァスバンドゥ)菩薩あり、無著の弟である。その位は、十地の一つ前に四善根があるが、その明得の位である。無著菩薩に教えを受け、広く唯識を伝え、弥勒菩薩の論に従って盛んに注釈を作った。初めは小乗を学び500部の論を書き、後に大乗を広めてまた500部の論を書いた。釈尊一代の教えにことごとく通じていた。

 

次に、護法(ダルマパーラ)菩薩あり。深く世親の論を理解して、遠方まで弥勒菩薩の教えを広めた。この世界のうちに成仏すると言われている人物であり、他教の囚われのあるものは口を閉ざして反論できず、他派の小乗も舌を巻いた。そのため、インドの他教小乗から「大乗に護法あり」といわれた。云々

 

次に、戒賢(シーラバドラ)論師あり。伝法の大将。その当時比べるものがなく、法相の教えをことごとく伝え、釈尊の教えにすべて通じていた。

 

この五大論師はみな天竺伝法の匠(たくみ)である。

 

 

第二項 中国の相承

 

次に、大唐帝国の初期に玄奘三蔵あり。

遠くタクラマカン砂漠を渡り、遙かにインドへ往き、遂に戒賢論師に拝謁し、唯識の教えを受け継いだ。戒賢論師は永く玄奘三蔵を待っていた。そして、五部の大論、十支の論など法相の法門を余すところなく伝え、遂に中国へ戻り、教えを盛んに広めた。

三千人の門徒、七十人の碩学、四人の高弟がおり、朝廷は帰依し、天下が皆尊崇するところだった。また、法相宗以外の経論の翻訳も非常に多い。

まさに、大唐法相の始祖であり、天竺相承の第六番目の人である。

 

次に、窺基法師あり。

彼は玄奘三蔵の高弟で、智慧と理解は人並み外れており、三蔵に次いで広く法相宗を伝えた。

百本の経疏を著した論述家であり、十地の菩薩であり、その盛んな徳に世間はこぞって尊崇し、慈恩大師と号した。

 

次に、淄州の慧沼大師あり。慈恩大師に次ぎ、盛んに法相宗を広めた。

 

次に、樸楊の智周大師あり。慧沼大師をうけて、広くこの宗を伝えた。

 

これが、大唐国相承の次第である。

 

 

第三項 日本の相承

 

法相宗の日本への伝来は三度あった。

 

1.日本の智通・智達の二人。

彼らは玄奘に学んだ。

 

2.新羅の智鳳禅師。

同じく玄奘に学び、日本の義淵僧正に伝え、法相宗を興福寺維摩堂で広めた。

 

3.日本の玄昉僧正。

唐へ留学して樸楊の智周大師に学び、帰国して善珠僧正に伝えた。

 

以上の三伝以来、次第に相承され、多くの寺院で修学されて現在まで絶えることが無い。

さらに、彼らは優れた学僧達であり、智慧と弁舌の鉾先は鋭く、獅子のように徳は盛んで、善悪を見極める事ができた。

 

日本全土で盛んに法相宗は学ばれ、何れの宗がこれに及ぶであろうか。

また三国に相承された教えは、一つも欠けるところは無い。

 

 

第三節 法相宗の教判

第一項 三時教判

 

問い。法相宗では、仏説を幾つに分類しているか。

答え。三時教の説を立てて分類している。これは『解深密経』の説である。

 

1.有教

釈尊は初め、声聞乗を志すもののために、万物に実体(我)があるという説を否定し、実体は無く法だけがある、という教説を明かした。

小乗の諸部はみな、この有教に含まれる。かつ、この教えを有という説に要約している。他の教えはみなここに含まれるからである。

 

2.空教

次ぎに、大乗を志すもののために、法もみな空である、という説を明かし、実体として法があるという執着が否定された。

 

3.中道教

次ぎに、空でも無く有でも無いという教えが説かれ、前の有と空への執着が否定された。

 

そうならば、初時では依他起性の立場から有と説き、第二時では我に執着する立場に対して空と説いた。どちらも三性三無性(後述)が明らかにされた説ではない。従って、前二時を未了争論安足処所という。第三時には詳しく三性三無性を説いている。遍計所執のために有にあらず、依他起性のために無にあらず、これは実に非空非無中道の妙理である。元より両極端を離れており、直ちに覚りに入ることができる。釈尊一代の教えの中で最も深いもので、八万の法門のうち、特に優れたものである。

『華厳経』『解深密経』『金光明経』『法華経』『涅槃経』等の深い大乗経典はみなここに含まれる。諸々の『般若経』は皆第二時に含まれ、諸々の小乗は皆、初時に含まれる。

 

 

第二項 三時教と三性

 

問い。この三時とは、年月の順序なのか、内容で分類しているのか。

答え。学者によって説が分かれている。ある説では年月によって三時になると言い、或いは内容によって三時になるという。或いは内容と年月の双方が含まれるという。

 

問い。第三時で言う中道とは、三性の立場で言えるものなのか。それとも、そのうちの一つだけについて言うのか。

答え。これには二つの説がある。一つは三性対望の中道という。二つには一法の中道という。しかし、大抵は三性対望の中道であるが、一法の中道と言っても良い、という立場を取る。

 

問い。第二時では、どうして空を説くのか。

答え。それには二つの理由がある。一つは遍計所執性の世間の立場に対して、仏の真意が空であると説くのである。二つには三性のそれぞれに自性が空であることを説くのである。

 

 

第四節 三乗と五性

第一項 五性各別

 

問い。法相宗ではいくつの乗を立てるのか。

答え。この宗の教えでは、三乗(声聞・縁覚・菩薩)五性を立てる。

その五性とは1.定性声聞2.定性縁覚3.定性菩薩4.不定種性5.無性有情である。

定性声聞と定性縁覚はそれぞれの定まった乗の成果に従って、身心を滅して涅槃に入る。

定性菩薩は自利と利他の行を完成させて、大菩提を証す。

無性有情は元々悟りの種子が無い。ただ、煩悩の種子だけがあり、最も良いもので人天に生まれる。

 

 

第二項 三乗と五乗

 

問い。入滅した声聞・縁覚が再び生まれ変わる事はあるか。

答え。それは無い。無余涅槃に入ったものは体は灰となり精神も無くなり、感覚器官も全て滅びるのである。どうして生まれ変わることがあるだろうか。

不定性のものは必ず小乗から大乗へと向かうので、入滅するものはいない。

大乗に向かう時、十信の初心の位となり三祇の期間修行を経て成仏するのである。

 

人の性質にはこの五性の違いがある。

そのため、仏はそれぞれの性質に合わせて法を授けた。

そうした訳で、必ず五乗が存在するのである。

 

無性有情は人乗、天乗に分類される。

三乗はそれぞれ声聞乗、縁覚乗、菩薩乗となる。

不定種性は三乗のどれかに含まれる。

したがって、五乗がある。

もしも、仏道の世界に限定すると、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗の三乗になる。

普為乗(すべての乗のための教え)の名称はここに由来する。

 

 

第三項 法相宗から見た一乗

 

問い。『法華経』などでは、すべては大乗の一乗に帰する事を説いている。従って、二乗もまた、成仏するはずである。どうして、あえて五性を立てているのか。

答え。彼の『法華経』などは密意の説である。仮に不定性の立場に立って一乗を説いているので、五性が皆成仏すると言っている訳ではない。たとえ、一切と言っても含まれる範囲は小さいものである。無始より自然の道理として五性の違いは変えることが出来ないのであるから。

 

 

第四項 三乗の得果と菩薩の四十一位

 

問い。三乗それぞれの修行の結果はどのようなものか。

答え。声聞は三生六十劫の修行により応果(阿羅漢となること)を得る。

縁覚は四生百劫の修行により縁覚の覚りを得る。

菩薩は三阿僧祇の修行により大覚果(仏陀となること)を得る。

 

問い。菩薩の修行の位は何段階あるのか。

答え。修行の段階と覚りの段階を合わせて四十一位になる。

十住、十行、十回向、十地、仏果である。

等覚を仏果と区別するなら四十二位となる。

また、その場合、等覚は第十地の法雲地に含まれる。

さらに十信を加えるなら五十一位になる。

しかし、十信を十住の初住に含めるため、慈恩大師(基)は四十一位としている。

また、西明法師(円測)は全てを数えて五十二位としている。

 

この四十一位を分けて五位とする。

1.資糧位

これは十地以前の三十心(十住、十行、十回向)である。

2.加行位

十回向の最後に四善根を開いて、それを見道(通達位)へ進むための準備(加行方便)とする。

(『倶舎論』の修行の階位を憶えておられるだろうか?倶舎では三賢→四善根という修行の位の後で聖者となるのだが、唯識では十住以降がそれに対応している。)

3.通達位

これは十地の第一地(歓喜地)の入心であり、見道位とも言う。

4.修習位

第一地の住心から第十地(法雲地)までである。

5.究竟位

いわゆる仏果である。

以上を五位の修行と言う。

 

 

第五項 煩悩障と所知障の断尽

 

問い。三乗それぞれの人はどのような障を断ち切るのか。

答え。二乗の人はただ煩悩障を断ち、菩薩大乗は二障を断ち切る。

二障とは、1.煩悩障(情的な迷い)2.所知障(知的な迷い)である。

二障にそれぞれ2つあり、分別(後天的)と倶生(先天的)とである。

菩薩十地以前に二障の現れている部分を抑え、第一地(歓喜地)で後天的な二障の種子を断ち切る。

二地から十地の間に順々に先天的な所知障を断ち、第十地に至って先天的な煩悩障の種子を断つ。

二障の習気(残存物、慣習)は二地以後に次第に断たれ、仏果に登る時、一瞬に断ち尽くされる。

 

 

第六項 三祇と四依

 

問い。悟りを開く三阿僧祇の期間をどのように配当しているのか。

答え。三賢、四善根が最初の一阿僧祇。

初地から七地までが第二阿僧祇。

八、九、十地が第三阿僧祇である。

三阿僧祇を終えたとき、仏果を証する。

 

菩薩の四十一位を分類して四依とする。

十地以前が初依。

五恒沙(数字の単位。ガンジス川の砂の数ほど)の仏を供養する。

初地から第六地までが第二依。

六恒沙の仏を供養する。

七、八、九地が第三依。

七恒沙の仏を供養する。

第十地が第四依。

八恒沙の仏を供養する。

この三阿僧祇の間に合わせて二十六恒沙の仏を供養する。

この三阿僧祇の間にあらゆる修行を修め、六波羅蜜を完成する。

十地以前には相唯識(唯識の実相を心に感ずる)を修行し、十地に入ると性唯識(真実を観ずる)を修行する。

 

 

第五節 五位百法

第一項 五位と八識

 

問い。法相宗では世界の実相を幾つの法に分類しているか。

答え。百法に分類している。

 

問い。その百法とは何か。

答え。大きく分けると五位に分けられる。

 

1.心王(心の本体)。これには八種ある。

眼識、耳識、鼻識、舌識、身識(それぞれ五官に対応する心。)、意識、末那識(自我意識)、阿頼耶識(深層意識)。

 

 

第二項 六位の心所

 

2.心所有法(心王に付属して現れるもの)。五十一あるが、また六つに分けられる。

(1)遍行(どんな心作用にも起るもの)の五種。

作意(驚いて注意を向けること)、触(主観と客観の接触)、受(外界の対象を受けて生ずる印象感覚)、想(知覚作用)、思(意思)。

(2)別境(特定の場合に起るもの)の五種。

欲(欲求すること)、勝解(対象を判断すること)、念(記憶すること)、定(心を集中すること)、慧(事理に通達する作用)。

(3)善(自他の利益となるもの)の十一種。

信(心を清浄にするこころ)、精進(善を修し、悪を断つこころ)、慙(罪を反省し恥じるこころ)、愧(罪を他に対して恥じるこころ)、無貪(貪らないこころ)、無瞋(怒らないこころ)、無癡(明らかな見解があること)、軽安(軽く安らかなこころ)、不放逸(悪を防ぎ善を行うこころ)、行捨(騒動を離れたこころ)、不害(他の不利な事をしない)。

 

(4)煩悩の六種。

貪、瞋、癡、慢、疑、悪見。

悪見をさらに五に分ける。

身見、辺見、邪見、見取見、戒禁取見。

 

(5)随煩悩の二十種。

忿、恨、覆、悩、慳、嫉、誑、諂、害、憍、無慙、無愧、掉挙、惛沈、不信、懈怠、放逸、失念、散乱、不正知。

 

(6)不定の四種。

悔、睡眠、尋、伺。

 

以上の六位の合計で五十一となる。

 

 

第三項 色法

 

3.色法の十一種。

眼、耳、鼻、舌、身、色、声、香、味、触、そして法処所摂の色である。

これにも五種あり、極略色、極逈色、受所引色、定所生色、遍計所起色が法処所摂の色である。

 

 

第四項 心不相応行法

 

4.心不相応行法の二十四種。

得、命根、衆同分、異生性、無想定、滅尽定、無想事、名身、句身、文身、生、老、住、無常、流転、定異、相応、勢速、次第、方、時、数、和合性、不和合性である。

 

 

第五項 無為法

 

5.無為法の六種。

虚空、択滅、非択滅、不動、想受滅、真如。

 

以上が百法である。一切諸法は略すればこれですべてである。

 

 

第六項 三科と百法

 

問い。五蘊、十二処、十八界の三科にも色(物質)心などの法を分類しているが、今の百法と三科はどのように対応するのか。

答え。まず五蘊(色、受、想、行、識)について。百法のうち、心王、心所そして色法をまとめて五蘊としている。色蘊は色法にあたる。受蘊、想蘊は心所。識蘊は八識心王。それ以外の心所などはすべて行蘊に含まれる。ただし、五蘊には無為法は含まれない。

 

次ぎに十二処(眼、耳、鼻、舌、身、意、色、声、香、味、触、法)は色(物質)を広く分類し、心を略しているだけなので、五蘊に準拠して理解すれば良い。

 

十八界(十二処に眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識を加えたもの)は色心の両方を広く分類している。また、無為法も含まれる。

 

 

第六節 唯識観

第一項 唯識の妙旨

 

法相宗の本意は、唯識を明らかにすることのみである。

一切諸法は唯識であって、ひとつとして心の外にあるものは無い。

したがって、慈恩大師基いわく「心外の法があれば生死に輪廻し、一心を覚知すれば生死を離れることができる」と。

 

 

第二項 五重唯識

 

総じてこの事を明らかにするものに五重唯識がある。

1.遣虚存実識

遍計所執は虚偽であると追い遣り、依他起性と円成実性が真実であるとするため。

 

2.捨濫留純識

依他起性の心の内境が外界に適用されると誤りとなるので、これを捨てて唯識と名づける。

 

3.捨末帰本識

見分(主体)と相分(客体)を分割するという作用をすべて統一して、自体分の根本に帰らせるため。

 

4.隠劣顕勝識

心の中でも枝葉部分の心所を捨て、根本の心王を明らかにするため。

 

5.遣相証性識

依他起性の事相も捨て去り、唯識の理性のみを証するため。

 

前の四つを相唯識といい、後の一つを性唯識という。

 

 

第七節 四分義

 

この心の作用は全部で四分ある。

1.相分、2.見分、3.自証分、4.証自証分である

秋篠の善珠『分量決』によれば「心の作用は四種に分けることができる。したがって四分という」と。

ところが、これには四師の異説がある。

1.安慧菩薩

自証分の一分のみを認める。

 

2.難陀菩薩

相分、見分の二分を認める。

 

3.陳那菩薩

相分、見分、自証分の三分を認める。

 

4.護法菩薩

上記の四分全てを認める。

 

ここでは、護法の説が理にかなっているので四分を認める。

 

ものの姿が主観と客観に分かれ、心の認識する対象が生まれる。これを相分という。

その相分を対象として見る働きを見分という。

見分を認識する働きを自証分、または自体分という。

自体分を認識する働きを証自証分という。

 

この四分のうち、相分は認識の対象となるのみであり、主体となることはない。

その他の三分は主体と対象となることがある。

そして、八識の心王、心所にそれぞれ四分がある。

八識の存在はそれぞれ一つで有るけれども、その作用を論ずると四分がある。

したがって、八識にはそれぞれ四分が有る。

 

 

第八節 三性と三無性

第一項 三性

 

唯識では、真実と迷妄とは何かを説明するために、三性説を用いる。

1.遍計所執性

これは情によって生まれた相である。存在しないにも関わらず、有ると思う虚妄の執著である。

 

2.依他起性

諸々の縁(四縁)によって生まれた諸法である。因縁和合して存在するから。

 

3.円成実性

諸法の理性である。円満、成就、真実の三義を備えているから。

 

この三性のうち、遍計所執性は虚妄の有、依他起性は仮の有、円成実性は真実の有。

遍計所執性は妄執、依他起性と円成実性とは妙有真空である。

 

三性は互いに別のものであり、通じるところはない。

しかしながら、依他起性の事法は円成実性の理性と同一で異なるところはない。

現象は本質を離れず、本質は現象を離れないからである。

 

世親『唯識三十頌』の三性を説く偈によれば

「彼是の分別によって種々のものが分別される。この遍計所執性は自性が存在しない。

依他起性の自性である分別は、縁によって生ずる。

円成実性は依他起性が遍計所執性から遠く離れた事を意味する性質である。

したがって、これと依他起性は異なっている訳でも、同じ訳でも無い。

無常などの性質のようなものである。円成実性を見ずして依他起性を見ることはできない。」

 

 

第二項 三無性

 

この三性に対応するものとして、三無性を明らかにする。

即ち、遍計所執性・依他起性・円成実性に対して、それぞれ相無性・生無性・勝義無性をあらわす。

したがって、『唯識三十頌』によれば、

 

「即ちこの三性によって、彼の三無性を立てる。

したがって、仏の隠された真意としては、一切法は無性だと説かれている。

まず、相無性、次ぎに無自然性、最後に前述の遍計所執性の我法を離れる事によってあらわれる性である。」

 

前述の三性と同じく、三無性は識の中にある。

三無性も三性によって立てられたものだから。

『成唯識論』によれば、

 

「まさに知るべきである。三性もまた識を離れない。」とまたいう「つまり前述の三性によって立てられる。そこで三種の無性を説く。」と。

 

 

第九節 菩提と涅槃

第一項 転識得智と四種涅槃

 

諸段階での修行はみな「ただ、心のみである(唯識)」と観察することであり、悟りの結果証明されるのは「ただ、心のみである」事である。

したがって、すべての行はみな唯識から起こり、あらゆる成果も唯識によって得られる。

 

法相宗では八識(心)を転換して四智とする。

その四智とは、1.大円鏡智、2.平等性智、3.妙観察智、4.成所作智である。

初地に入る時、第六意識と第七末那識を転じて妙観察智、平等性智を得る。

悟りを得る時、前五識と第八阿頼耶識を転じて大円鏡智、成所作智を得る。

この瞬間に四智は完全に備わり、煩悩障・所知障は菩提・涅槃へと転換する。

 

そこで証される理に四つの涅槃がある。

1.本来自性清浄涅槃、2.有余涅槃、3.無余涅槃、4.無住処涅槃である。

はじめの1は凡夫も具えている。間の2つは声聞縁覚も得る。ただ、大乗の悟り(仏果如来)だけがこの四種を具えている。

 

 

第二項 五法と三身

 

以上の四種の涅槃を総じて清浄法界と名づけ、前述の四智を加えて五法とする。

五法と三身の対応関係には『成唯識論』には二人の師の学説がある。

 

初めの師の説は、清浄法界・大円鏡智を法身とし、平等性智・妙観察智を報身とし、成所作智を化身とする。

第二師の説は、清浄法界を自性身、大円鏡智を自受用身、平等性智を他受用身、成所作智を変化身、妙観察智は説法断疑智とする。

 

法相宗では第二師の説を正統としている。

 

 

第十節 総結

 

まさに知るべきである。

五位の修行はめぐり窮め尽くされ、二障の正使と習気は一気に断ち滅ぼされる。

三祇の期間のあらゆる善は成満して一念に含まれ、悟りは速やかである。

有漏の八識は転じて四智となり、菩提・涅槃の妙果を得、三身の満たされていることは月のように寂々として澄み、照々と朗らかである。

 

それだけでなく、五乗が皆みちびかれ、三乗はそれぞれの悟りを極める。

一乗は方便、三乗は真実である。

正体智の前では真理は明らかであり、後得智の中に衆生は皆救われる。

依詮談旨によって三性三無性の鏡を懸け、廃詮談旨の前では四句百非の判断もやむ。

性相の決判はこの宗に過ぎるものは無く、義理の極成はどの教えが及ぶだろうか。

自証三身の月は円かに、化他五乗の光は朗らかである。

自証・化他はそれぞれ甚深広大であり、上乗の主旨には義理が円かにそなわっている。

法相宗の宗旨はおおむねこのようなものである。