天台宗


第六章 天台宗

第一節 宗名と所依の経論

第一項 宗名

 

問い。なぜ天台宗と言われるのか。

答え。山の名前に依っている。この宗は天台山から始まったためである。

 

 

第二項 所依の経論

 

問い。この宗はどの経典を拠り所としているか。

答え。『法華経』を拠り所とし、釈尊一代の教えを判断(教相判釈)している。

そして、教相判釈の大綱と細目に、あらゆる意義が含まれているからである。

伊人法師(荊溪湛然)の『止観義例』には

「天台宗の教義は、『法華経』を柱とし、『大智度論』を指南とし、『大般涅槃経』で補い、『大品般若経』を観法とする。

諸経を引用して信を増し、諸論を引用して理解を助けている。

心を観察する事をたて糸とし、諸々の教えをよこ糸として天台宗という書籍が成り立っている。

他宗とは異なるところである。」とある。

 

 

第二節 天台宗の歴史

第一項 開祖と伝承

 

問い。この宗は、誰を祖師としているのか。

答え。天台智者大師(智顗)を宗師としている。

さて、慧文禅師は『大智度論』に依って「一心三観」を立て、それを南岳慧思禅師に授けた。

慧思禅師は霊鷲山で釈尊が『法華経』を説かれた時、自分も(前世で)そこにいた事を思い出し、「法華三昧」の修行をして六根清浄の位に到達した。

そして、『大智度論』の「三智一心中得」の文と『中論』の「三諦偈」を心に入れ、深い禅定による智慧を起こし、三昧が成就して、その理解は円明(完全なもの)となった。

 

智者大師もまた昔、霊鷲山において『法華経』を聴いていた。

南岳大師に謁見するとき、不思議にその記憶を思い出した。

そして、「法華三昧」を修行して五品の位に到達した。

(天台)一家の大宗を建て、その身には十徳を備えた。

慧文と慧思は教義を作ったが、天台大師に至って、教判を立てて釈尊一代の教えを詳しく説明した。

この宗が盛んに興ったのはこの祖(智顗)のためである。

 

 

第二項 中国における天台宗の相承

 

次に、章安大師(灌頂)が在る。

天台大師の後を承けて、広くこの宗を伝えた。

天台大師が説いた教えを、章安大師がすべて纏め上げて、一宗の典籍を編纂し、天台宗の綱目を作った。

次に、智威大師は章安大師を承けて、広くこの宗を伝えた。

智威大師は慧威大師に教えを授け、慧威は玄朗大師に授け、玄朗は妙楽大師(湛然)に授けた。

 

妙楽大師は広く天台大師の著作を理解し、注釈を書いた。

天台大師の三大部『摩訶止観』『法華玄義』『法華文句』にそれぞれ『摩訶止観輔行』『法華玄義釈籤』『法華文句記』を作った。

諸家の注釈は妙楽大師に及ばず、他の天台大師の著作にも注を作らなかったものはない。

そのため、古今特によりどころとして伝えられ、各地で学ばれている。

現在の学者は妙楽大師の説によって天台大師の意図を学んでいる。

義通法師・(四明)知礼法師・浄覚法師等は皆その後を承け継いでいる。

妙楽大師は法門を道邃和尚に授けた。まさに、法門の霊府(心)である。

行満・道暹、及び智雲等は皆妙楽大師の後を承け、肩を並べて教えを広め、互いに龍象とされるような僧侶である。

 

 

第三項 日本への伝来と相承

 

ここに、日本の伝教大師(最澄)は大唐国に渡り、道邃和尚に謁して、広くこの宗を伝えられた。

瓶から瓶に残らずうつす様に、すべてを受け継いだ。

そして、日本に帰り、これを比叡山で広めた。

義真和尚・慈覚大師(円仁)・智証大師(円珍)これらの祖師先徳が互いに教えを伝えて、今も絶えない。

日本一国、伝わらない所は無く、異国の諸州にも聞き伝えられ、盛んに学ばれた。

時代は末法であると言っても、人々が仰ぎ帰依するものに、天台宗に過ぎるものは無い。

貴なるかな。大いなるかな。

 
 

第三節 教観二門

 

問い。天台宗は幾つの時・教を立てて、釈尊一代の教えを判断し、またどのような法門を明らかにするのか。

答え。天台宗の大義は、教(教理、理論)・観(観心、実践)の二門である。

教門というのは、理解によって心を養い、仏道を円満に開くからである。

観門というのは、心の観察が進み、悟りの智慧が起こるからである。

その教門とは、四教、五味、一乗、十如是等である。

その観門とは、十二因縁、二諦、四種三昧、三惑義等である。

 

 

第四節 天台宗の教判

第一項 五時八教総説

 

釈尊一代の教えを判断すると、教(教義)の見方では四教ある。

時(時間)の見方では五時ある。

四教にもまた2種類ある。

1つは化法の四教。

これは、釈尊の教えの綱目(大綱と細目)である。

2つめは化儀の四教。

これは、教えの判断の大綱である。

2種の四教を合わせて八教とする。

 
 

第二項 化法の四教

イ 総説

 

問い。まず、化法の四教とは何か。

1.三蔵教

一切の小乗はこの教えに含まれる。

2.通教

諸大乗の中で、三乗(声聞・縁覚・菩薩)に通じるのがこの教である。

3.別教

諸大乗の中で、小乗と共有せず、菩薩のみのものがこの教である。

4.円教

諸大乗の中で、円融相即して、無礙の法門がこの教である。

 

 

ロ 三蔵教

 

初めに三蔵教とは、小乗教の中に、諸部派に分流している。

しかし、主要なものは唯だ4種である。

1.有門の小乗、これは毘曇(説一切有部)である。

2.空門の小乗、これは成実論である。

3.亦有亦空門、これは昆勒論である。

4.非有非空、これは迦旋経である。

この昆勒論と迦旋経とは、まだ中国に伝わっていない。

そこで、有門毘曇の教義にしたがって説明すると、この教の中で三乗修行得果の相を明らかにしている。

 

まず、声聞乗には七賢七聖がある。

その七賢とは、1.五停心、2.別相念処、3.総相念処。

この3種は外凡で、順解脱分の位である。

4.煖法、5.頂法、6.忍法、7.世第一法。

この4種は内凡で、順決択分の位である。

 

次に、七聖とは、1.随信行、2.随法行、3.信解、4.見得、5.身証、6.時解脱、7.不時解脱である。

初めの2つはどちらも見道で、鈍根の者を随信行と言い、利根の者を随法行と言う。

鈍根の者が修道の位に入ると信解と言い、利根の者が修道の位に入ると見得と言う。

この信解と見得の人が滅尽定を得ると、身証と言う。

鈍根の者が羅漢果を得ると時解脱と言い、利根の人が羅漢果を得ると不時解脱と言う。

七聖が有るといっても、四果だけである。

声聞で悟りを得るには最も早くて三生。最も遅くて六十劫で得ることができる。

 

次に、縁覚乗には2種がある。

1.部行独覚(集団で修行する独覚)、2.麟喩独覚である。

部行は、仏の世に現れるものなので、その数は多い。

麟喩はただ一人でなるものなので、仏の存在を知らない。

もっとも早いもので四生、最も遅くて百劫で悟りを得る。

 

菩薩は三阿僧祇劫を経て、そして百劫を経た後に菩提樹下で成仏する。

 

三乗共に見思惑(煩悩の総称)を断ずる。

しかし、三乗が観察するものは、それぞれ同じではない。

声聞は四諦を観じ、縁覚は十二因縁を観じ、菩薩は六度(六波羅蜜)を修行する。

三乗の得られる成果は、みな無余涅槃に入り、灰身滅智する事である。

 

蔵教では、生滅の四諦・十二因縁・六波羅蜜・二諦等の法を明らかにする。

これは界内(三界、世界)の教えである。

 

 

ハ 通教

 

次に、通教には四門があり、多くは空門を説いている。

この教では、三乗に共通する十地をあきらかにする。

 

その十地とは

1.乾慧地、これは外凡の位である。

2.性地、これは内凡の位である。

3.八人地、4.見地で三界の見惑を断つ。これは初果である。

5.薄地、即ち一来果である。

6.離欲地、これは不還果である。

7.已弁地、これは羅漢果である。

声聞は、初地からここに至って無余灰断(無余涅槃、灰身滅智)する。

 

8.支仏地。

習気を除いて空観に入る。

縁覚はここに至って覚りを得て、入寂する。

 

9.菩薩地、これは出仮の位である。

菩薩はここに至って、ややもすれば塵劫(の時間)を越えて出仮利生(真実の空から、俗な有の世界へ出て、人々を救う事)し、道観双流(俗な世界で人の為に働くが、意識は空観にあるので、執着を離れている事)する。

 

10.佛地

菩薩は、悟りを開く前の最後の身体で、残りの残習を断ち、七宝樹下で天衣を座として、成道しそして入寂する。

 

通教では、無生の四諦・十二因縁・二諦等の法をあきらかにする。

これは界内の教えである。

 
 

ニ 別教

 

次に、別教にも四門有り、多くは亦有亦空門を用いる。

この教えでは、五十二位を明らかにする。

 

1.十信。

これは外凡の位である。

妄仮の差別の世界から、空の平等へ入る。

 

2.十住。

これは習種性の位である。

初住で三界の見惑を断ち、次の六住で三界の修惑を断ち、後の三住で前惑の習気、ならびに塵沙の惑を除く。

この位で空観が完成し、さらに仮観と中観をも習う。

 

3.十行。

これは性種性の位である。

正しく仮観を習い、さらに中観を習って塵沙の惑を断つ。

 

4.十廻向。

これは道種性であり、中道観を修し、無明を克服する。

この十住・十行・十廻向は内凡の位である。

 

5.十地。

聖種性である。

 

6.等覚。

上記の二はどちらも無明を破し、さらに中道を証すので、分聖位と呼ぶ。

 

7.妙覚。

これが極聖の位で、無明を破し、佛果を証するのである。

ここでは、七宝を座として成道する。

 

この別教では、無量の四諦・十二因縁等を明らかにする。

これは界外の事教である。

 

 

ホ 円教

 

4番目に円教とは、これにも四門あるが、多くは非有非空門を用いる。

 

1.理即。

一切衆生の一念の心。これがそのまま如来蔵(如来の蔵、仏性)である、という理。

この心は、そのまま三諦(空・仮・中)の妙理を具えており、不可思議である。

これを理即と呼ぶ。

 

2.名字即。

上記の如来蔵の理を聞いて、言葉の上で理解し、一切法はみな仏法であると知る。

これを名字即と呼ぶ。

 

3.観行即。

これは五品の位である。

十心具足の十法成乗観(天台の修行法)である。

読誦経典に更に説法・兼行六度・正行六度(六波羅蜜行)を加える。

これらの行を修するので五品の位と呼ぶ。

これは外凡の位である。

 

4.相似即。

これは六根清浄・鉄輪十信の位である。

初信で三界の見惑を断ち、次の六信で三界の思惑を断ち、後の三品で習気と界外の塵沙を断ち、無明の惑を克服する。

これは内凡の位である。

 

5.分真即。

これは、十住・十廻向・十地・等覚である。

四十一位の中で、それぞれ一品の無明を断ち、それぞれ一分の中道の理をあきらかにする。

あわせて八相成道して、衆生を救う。

普門示現(あらゆる世界に姿を現す)して、教え導く。

これを分聖位と名づける。

 

6.究竟即。

等覚は一転して妙覚に入り、仏果円満して断証窮極(悟りを開く)する。

円教では無作の四諦・十二因縁等をあきらかにする。

 

 

ヘ 四教の佛身と佛土

 

問い。四教で説く仏果は、三身(法身・報身・応身)のうち何れか。

答え。蔵教・通教は応身である。

その内、蔵教は劣応身、通教は勝応身である。

別教は他受用身、円教は自受用身である。

理智冥合し、融通無碍の三身即一の如来である。

 

問い。四教の仏はどの仏国土に居られるか。

答え。天台宗では四種の仏国土を説く。

 

1.凡聖同居土

凡人・聖人が雑居しているから。

蔵教で説く劣応身仏はこの国土に居られる。

これにも2種ある。

1つは同居の穢土であり、例えば娑婆(現実世界)がある。

もう1つは同居の浄土である。安養浄土(極楽浄土)などである。

 

2.方便有余土

三界の外に有り、三乗の人は三界の身を離れてこの浄土に住す。

通教に説く勝応身仏はこの仏国土に居られる。

 

3.実報無障碍土

別教の十地、円教の十地以上の菩薩は無明の惑を断ち、中道の理を証し、この仏国土に住す。

教主(その仏国土の仏)を見るならば、別教で説く他受用身仏である。

 

4.常寂光土

唯だ、仏の実身のみが彼の仏国土に住する。

機根離絶(衆生の認識を超える)し、仏仏の境界である。

即ちこの国土には四徳波羅蜜(浄・我・楽・常)が周遍寂照し、理智冥合の法身が住する所である。

四教の仏はこのような四土に居られる。

 

この四教によって釈尊一代大小の諸教を判断して尽くさない所は無い。

化法の四教とは、概ね以上のようである。

 

 

第三項 化儀の四教

 

次に、化儀の四教とは

 

1.頓教

『華厳経』等である。

 

2.漸教

『阿含経』『方等経(大乗経)』『般若経』の三時である。

 

3.不定教

能力が異なるので、同じ内容を聞いても異なる理解をする。

大乗を聞いて小乗を理解し、小乗を聞いて大乗を理解する等である。

しかも、聞いている内容はお互いに知っている事を、不定教と呼ぶ。

 

4.秘密教

一会の説法で、聞者の能力に合わせて異なる内容を説く。

例えば、小乗を説く座で一乗真実の法を説き、また大乗を説く座でも他の法を説く。

しかも、聞者はそれをお互いに知らない。したがって、秘密教と呼ぶ。

これを総称して化儀の四教と呼ぶ。

 

まさに知るべきである。

化儀四教の説く内容は、化法四教を外れない。

化法四教の説く方法は、化儀四教のものである。

したがって、八教をあきらかにして判解とする。

これが大綱綱目である。

 

 

第四項 五時の教判

 

次に、五時とは、華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃である。

化儀四教の順序はこの五時に含まれる。

これを別に五味(乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味)と呼ぶ。

 

 

第五節 観門と行法

 

天台宗は、百界、千如、三千世間(全宇宙)を、一念の中に頓(一瞬)に具え、不縦不横である。

二諦(真と俗)を説くために総じて七重がある。

四種三昧を行の方法とする。

 

一心三観に具足円満し、相即自在、無礙円融である。

凡の立場で仏を見、仏の立場で凡を現す。

三千(の諸法)は、理であれば無明と呼ぶが、果成ずれば、ことごとく常楽と呼ぶ。

今、法華の妙旨(奥深い意味)はまさにここにある。

諸教の中で、この教えは最もすぐれている。

諸教の中で、最も奥深いものである。

八教を超えた円教の極みであり、その旨は深く高い。

速疾の大果もまた、玄妙である。