倶舎宗


第一章 倶舎宗

第一節 倶舎宗の名称

 

問い。なぜ、倶舎宗という名前なのか?

答え。倶舎というのは論書の名前である。

正確に言えば『阿毘達摩倶舎論』という。

このタイトルの内「論」は中国語であり、他の「阿毘達摩倶舎」の六字はサンスクリット語である。

この「阿毘」という単語は「対」という意味であり、「達磨」は「法」、「倶舎」は「蔵

」という意味である。

従って、すべてを漢字で書けば『対法蔵論』となる。

 

もう少し説明すると、無漏の智恵を「対」という。

「対」には二つの意味があり、「涅槃に対して向かう」という意味と、「四諦の真理に対して観る」という意味である。

「法」にも二つの意味がある。一つは「勝義法」。これは「涅槃」つまり最高の法という意味である。二つめは「法相法」。つまり世の中の法則のことで、これは「四諦」の考え方に通じている。

無漏の智恵である「対」は「涅槃」の意味の「法」に向かうか、「四諦」の「法」を観るかで、異なる意味になる。

 

「蔵」に二つの意味がある。一つは「包含」。二つは「所依」である。「包含」とは『倶舎論』は『発智論』など様々な「勝義法」の言葉をすべて「包含」する「蔵」であるということ。この場合、複合語の前の名詞が後半の語を説明する依主釈なので「対法の蔵」というように訳す。

所依の意味というのは、この論書が『発智論』などを根拠として作られたということである。この場合、複合語全体を形容詞的にとる有財釈なので、「対法蔵を有する」というように訳す。

論の正確なタイトルの意味はこのようなものである。

 

今、この『阿毘達摩倶舎論』によって宗の教えとする。従って倶舎宗という。

 

 

第二節 倶舎論の製作

第一項 婆裟論の編集

 

問い。『阿毘達摩倶舎論』は釈迦入滅から何年後に、誰が書いたのか?

答え。この論は入滅後九百年の時に世親菩薩(ヴァスヴァンドゥ)が書いたものである。

小乗二十部のうち、薩婆多部(サルヴァースティヴァーディン・説一切有部)に属する。

『大毘婆裟論』がもとになっているが、それ以外の説もふくんでいる。

『大毘婆裟論』は『発智論』と六足論とよばれる論書群をもとにしている。

 

釈迦入滅後四百年の初め、健駄羅(ガンダーラ)国に迦膩色迦(カニシカ)という王がいた。

その王は仏の教えを敬い尊重していた。

 

ある日、王は僧侶を宮殿に招いて供養した。

王が仏道について質問したところ、僧達の答えはバラバラであったので、とても不審に思った。

そこで、脇尊者(パールシュヴァ)に質問した。

「仏教は源は一つであり、その理に違いはないはずである。どうして、僧侶達の話す内容に違いがあるのか?」

尊者は答えて言った。「どの説も皆正しい。修業すれば成果を得ることができる。釈迦が予言されていたが、金でできた杖が折れてばらばらになっても、金という素材は変わらない。教えも多くに分かれてもその内容は変わらない。」

 

王はこの言葉を聞いて質問して言った。「諸部派の教えのうち、私が修業するのにどれが最善だろうか?どうか、尊者よ教えて欲しい。」

尊者は答えて言った。「諸部派のうち、説一切有部を超えるものはありません。王が修業をされたいならば、これに依るのがいいでしょう。」

 

カニシカ王は喜んで、説一切有部の三蔵を編纂させた。

徳の有る僧侶が四方から雲集し、凡僧も聖僧も非常に多かった。

混乱をまねくといけないので、凡僧を除き、聖僧を残した。

聖僧もまだ多かったので、まだ学ぶ事が残っている僧を除き、もう学び尽くした僧を残した。

学び尽くした僧もまだ多く、集めきれなかった。

そこで、学び尽くした僧のうち、禅定は六種の神通力をそなえ、智恵は四無碍弁があり、仏教内には三蔵を究め、仏教外では五種類の学問に通じており、三蔵の編纂ができる能力のあるものを残した。

 

留まった高徳の聖者は499人であり、世友尊者(ヴァスミトラ)を加えて500人になった。

そこで、世友尊者を推して上座とした。

500人の聖衆で10万偈を集めて経を解釈した。

次に10万偈を集めて律を解釈した。

最後に10万偈を集めて論を解釈した。

この論の解釈が『大毘婆裟論』である。

 

500人の羅漢である僧達は、編纂が終わったので、石に刻んで誓いを立て、自国の者には聴かせても、他国のものには許さないようにした。

そして夜叉神に城門を守護させて、外に出さないようにした。

 

 

第二項 倶舎論の成立と順正理論

 

世親尊者(ヴァスヴァンドゥ)は元々説一切有部を学んでいた。

しかし、後に経量部(サウトラーンティカ)を学び、こちらも理にかなっていると考え、有部の教えと取捨選択することにした。

 

その正しさを確認しようと思い、名を隠して再びカシュミールへ有部を学びに行き、四年間過ごした。

そして、しばしば自分の説で他人の説を論破した。

有部の悟入尊者も世親の議論に答えることができなかった。

 

悟入尊者は禅定に入り、この僧が世親であると見抜き、ひそかに呼んでこう告げた。

「有部の者達のうち、まだ執着を離れていないものがいて、世親長老が有部の学説を論破していると聞けば、必ず危害を加える事でしょう。

長老は早く帰国すべきです。」

 

そこで、世親は帰国して『大毘婆裟論』の講義をしていた。

一日講義をするごとに、その内容を一つの偈文にして銅板に刻んだ。

こうして六百偈ができて、『大毘婆裟論』の内容がすべて含まれていた。

 

そして、その銅板を香象の背中に掲げ、太鼓をたたいて宣言した。

「誰か、この文を論破できるものがいれば、私はその人に謝して教えを請うだろう。」

結局、だれもこの文を論破できなかった。

 

世親は、この偈文をカシュミールへ持って行かせた。

それで、カシュミールの国王や僧侶たちは非常に喜んだ。

有部を広めるためだと思ったのである。

悟入だけはそうではない事を知っていたので、不審な点を人々に告げた。

結局、世親に頼んで解説を書いてもらうことにした。

 

世親論主はカシュミール国王の命に応えて、本文に解説を書き、全部で八千頌になった。

これが『倶舎論』である。

後にこの解説を見ると、やはり悟入尊者の言うとおりだった。

 

時に、悟入尊者の弟子に衆賢論師がおり、論書を書いて『倶舎論』を論破した。

『倶舎雹論』と名づけて世親に見せた。

世親はこれを称賛し『順正理論』と名を改めた。

衆賢論師には別に『顕宗論』という著作があり、漢訳では四十巻になる。

また、『順正理論』は漢訳では八十巻になる。

この経緯でわかるとおり、『倶舎論』は元々『大毘婆裟論』から出ているのである。

 

 

第三節 倶舎論の翻訳と伝播 

 

問い。この論書が書かれたのは釈尊入滅後九百年の事である。それでは、中国へ伝わったのはいつの事か?

 

答え。この論書の翻訳は二度されている。初めは南北朝時代、陳朝の真諦三蔵(パラマールタ)で二十巻本として訳出した。また、自ら解説書も五十巻書いたが、これは散逸して伝わっていない。

次に唐朝の玄奘三蔵は永徽年間に慈恩寺で三十巻本として訳出した。現在使われるのはこれである。

 

この論は世親論主が書いたものであるので、世親菩薩を本祖師とするのである。

大唐国の玄奘三蔵が素晴らしい翻訳をし、弟子の普光法師、宝法師がそれぞれ注釈書を書いて解釈した。

さらに、その他の僧侶で学ばないものはいなかった。

そして、日本にも伝わり、現在に至るも絶えず、代々受け継がれており、諸寺で競って学ばれている。

 

 

第四節 本論の所属

 

問い。倶舎論は説一切有部の教えを述べたものか。他の教えを兼ねているか。

答え。この論は確かに有部の教えを述べたものである。従って薩婆多(説一切有部)の教えを元にして書かれている。けれども、部分的に経部の教えが含まれている。従って、論にこのように書かれている「カシュミールの『大毘婆沙論』の教えを完成させたものである。私は多くこの論に則ってアビダルマを解釈した。」

また、こうも書かれている。「経部の説は理にかなっているためである。」

二つの部派を取捨する表と裏の理由はこれらの文章によって意味を知らなくてはならない。

 

 

第五節 倶舎論の宗旨・三世実有

 

問い。倶舎論が説く教えは何か?

答え。先に書いたとおり、説一切有部の説であるので、「一切の構成要素である法が実在する(一切諸法実有)」という教えである。

中には経量部の教えが、ないこともないが、主には有部の「過去・現在・未来に渡って、一切の構成要素である法体が存在し続ける(三世実有法体恒有)」がこの宗の教えである。

 

ところで、三世(過去・現在・未来)実有と言っても、諸説異なる。

ここでは、四説を挙げる。

⒈法救尊者の説。

類の違いによって、 三世に違いが出る。

⒉妙音尊者の説。

相の違いによって、 三世に違いが出る。

⒊世友尊者の説。

位の違いによって、 三世に違いが出る。

⒋覚天尊者の説。

待の違いによって、 三世に違いが出る。

世親論主はこれらの説を評し、世友尊者の説を最善とした。

 

有部の「三世に法体が有る」とする説に対して、仮に経量部の説を挙げると、「過去と未来には法体が無く、現在にのみ有る」というものである。

 

この倶舎論は「アビダルマ」なので、論蔵に分類される。

 

 

第六節 本論の組織

 

問い。倶舎論は何を明らかにするのか。

答え。倶舎論三十巻は九品に分かれている。

⒈界品⒉根品⒊世間品⒋業品⒌随眠品⒍賢聖品⒎智品⒏定品⒐破我品。

この覚え方として「 界二根五世間五、業六随三賢聖四、智二定二破我一、是名倶舎三十巻。」という。

このうち、破我品だけは頌が無く、経文のガーター(偈)を入れているだけである。

この九品のうち初めの二品は、煩悩を増長する法である有漏と、煩悩から離れた無漏についての総論であり、後の六品は有漏無漏の各論である。

総論のうち、初めの界品は法の性質について論じ、後の根品は法の作用について論じる。

各論六品のうち、初めの三品は有漏を論じ、後の三品は無漏を論じる。

有漏を論じる三品のうち、世品は結果を論じ、業品は原因を論じ、随眠品は縁を論じる。

無漏を論じる三品のうち、賢聖品は結果を論じ、智品は原因を論じ、定品は縁を論じる。

最後の破我品は無我の法則を論じる。

『倶舎論』一部三十巻九品のなかで、明らかにされる教えとは、このようなものである。

 

 

第七節 五位七十五法

 

問い。倶舎論では、一切を幾種類の法に分類するのか。

答え。七十五法に分類する。

 

七十五法とは、

⒈色法(物)。これは十一あり、五根、五境と無表色である。

⒉心法(心)。これは一つだけである。六識も心王も全体として言えば一つだからである。

⒊心所有法(心作用)。四十六あり、六位に分ける。

それは、①大地法が十。②大善地法が十。③大煩悩地法が六。④大不善地法が二。⑤小煩悩地法が十。6不定地法が八。合わせて四十六有り、六位心所と名付ける。

 

大地法の十とは『倶舎論』の頌によれば「受、想、思、触、欲、慧、念、作意、勝解、三摩地であり、すべての心に必ず起る作用である。」

 

大善地法の十とは、また同じく頌によれば「信、不放逸、軽安、捨、慚、愧、無貪、無瞋、不害、勤であり、善心に必ず起る作用である。」

 

大煩悩地法の六とは、同じく頌によれば「無明、放逸、懈怠、不信、惛沈、掉挙であり、染心(煩悩)に必ず起る作用である。」

 

大不善地法の二とは、頌によれば「不善心に必ず起こる作用であり、無慚と無愧である。」

 

小煩悩地法の十とは、 頌によれば「忿、覆、慳、嫉、悩、害、恨、諂、誑、憍であり、このようなものを小煩悩地法という。」

 

不定地法の八とは、 頌によれば「尋、悔、眠、貪、瞋、慢、疑である。」

 

⒋不相応行。これは十四ある。 頌によれば「心と共に作用しない行(心不相応行)とは、得、非得、同分、無想、無想定、滅尽定、命根、生相、住相、異相、滅相、名身、句身、文身、である。」

 

⒌無為法。これには三種類ある。①択滅無為。②非択滅無為。③虚空無為。

 

以上を七十五法という。

 

七十五法のうち、前の七十二が有為、後の三が無為で、一切諸法は両者に分けられる。

有為法の中には有漏と無漏があるが、無為法には無漏しかない。

倶舎宗では七十五を想定して、すべての法を含め、余すところは無い、という。

 

 

第八節 三乗の因果

 

問い。倶舎宗では、三乗(声聞・縁覚・菩薩)の修行とその成果についてどのように見ているか。

答え。三乗のうち、声聞は三生〜六十刧(非常に長期間)の間修行すれば、その成果を得る事ができる。

その修行の方法は七階に分かれ、成果は四級に分かれる。

縁覚は四生〜百刧の間修行すれば、その成果を得る事ができる。

修行の成果は積み重なり、すぐに学ぶ事の無い境地(無学)に至る。

段階は無く、成果は一向果の一種類だけである。

菩薩は三阿僧祇刧(無数の刧)を経て、六波羅蜜を修行し、百刧の間に三十二相の仏の条件を整え、最後に生まれ変わった時、菩提樹の下の金剛座で禅定を行い、煩悩を断ち尽くして悟りを開き、仏となる。すると、輪廻の原因となる縁も尽き果て、完全な涅槃(無余涅槃)に入る。

方法としては、声聞は四諦を観じ、縁覚は十二因縁を観じ、菩薩は六波羅蜜を修行する。

 

 

第九節 我空法有

 

問い。倶舎宗ではどのような空を明らかにするのか。

答え。生空を明らかにするのみで、法空は説かない。

生空を説くというのは、万物には実体があるという執着(我執)を離れる事である。

物質の構成要素である五蘊には、人の実体は無い。

ただ、五蘊の組み合わせによって、人が仮に存在しているにすぎない。

実際には人という存在があるわけではない。

このように観察すれば、我空という真実が明らかになる。

しかしながら、万物を構成する法体が過去・現在・未来の三世にわたって存在すると考えるので、他宗から「我空法有宗」と呼ばれるのである。